私たちが大切にしていること、
大切にしていきたいこと。

目次

会社は誰のためにある?

会社は誰のためにあるのか。
株主のため、顧客のためと考える会社も多いが、
TJMではやはりそこで人生をおくる社員のためにあると考えたい。

ただし、「会社が社員のためにある」つまり社員が主人公でいられるためには
次の条件を満たさなければならない。
株主、顧客、協力会社、銀行など会社を取り巻く人々や環境と対話をし、
真剣勝負をしながら会社を成功に導くことである。
周囲はそう簡単に成功を許さない。

その葛藤の中で社員は鍛えられ成長する。
理念だけで人は本当の成長をすることはできない。
ひとつでも多くの社員の成長物語を作り出しながら社会に貢献してゆくことが
TJMの理想とするところである。

どんどん加速する時代に、中途採用、契約社員、アウトソースに比重を置き
業容の拡大を図らざるを得ない企業が増えている。
時にそのように対処するべき時期もある。
しかし、企業がひとつの生き物として時代時代に果たすべき役割を知り
成長してゆくとしたらそこに働く人が成長してゆかなければならない。

しかるべき時間をかけて、仕事を通して人を育てるという意思を
はっきりと持つ企業でありたい。

品質重視

「品質」はTJM創業以来最も好まれ大事にされている言葉だ。
創業者田島庄五郎は豪胆な性格で「品質で気に入らないものは躊躇なく
工場の前のどぶに投げ込んで捨てた」と記録されている。
現在では不法投棄で問題になるがいずれにしても気持ちは伝わってくる。

品質というものは企業活動の全般、全社員の行動・態度・思考にかかってくる
総合的クオリティーの事であると思うが、特に商品において言われる事が多い。
TJMでは「ソリッド感」「期待重量」という言葉で語られるが、
ガタガタせずしっくりしているとか、見た感じもどっしり感があり手にした時に
見た目よりもわずかに重い感じがするような五感的な事が開発時に要求される。
自動車のドアを閉めた時のどっしりしたドンという音
・・・ これは正に品質感であると思う。

品質と価額の関係は様々であるがどうしても高い品質を求めてしまうのが
TJMの歴史の中で育てられ、変えることのできない「血」である。

身のまわりを清潔にたもつ

TJMでは身の周りをきちんとする事を重要視する。
世にいう「 3S( 整理・整頓・清掃 ) 」である。
これは目に見えるスペースだけでなく、ビジネス要素そのものにもあてはまる。
心がけていなければ現状は保たれることはなく、すぐに汚れ混乱してゆく。
社内外でやりとりする情報の整理整頓もまさにこの対象である。
綺麗に保たれている職場には必ずこの3Sを忘れない社員がいると考えている。

更に付き合うべき企業も3Sが行き届いているかで見極める事が多々あり、
予想外にこれによる判断は当たっている。

オープンポリシー

日本人は周りの人に対する気遣いが強く、人を傷つけたくない、
自分も嫌な気持ちになりたくないとばかりにはっきりと物を言わないことがある。
その日本人が集まってできたのがTJMである。
だからこそオープンポリシーをTJMスタイルとして掲げたい。

このオープンポリシーの第一歩は言いにくいことほど先送りせず、
ずけずけ言ってはばからないことだ。
人は周りの人から問題点をはっきり言われないと自分では分からないことが多い。
更に言いにくいことを他人に率直に言うと、それが自分に跳ね返ってきて
言った相手だけでなく自分さえも成長することができるのではないだろうか。

仲間に嫌なことを言うのは可哀相だからと、今日言うべきことを明日に延ばしてしまえば、
かえって全体を駄目にすることにつながる。
一日延ばしに延ばしていたら結果良かったということも時にあるが、それは認めたくない。
結果でなく考え方に重きを置きたいのだ。

一方で社員は会社内の組織による上下関係とは別に、
一個の人としての尊厳を持つ存在である。
全員が家族、友人、さまざまなコミュニティー ・・・
さまざまな社会関係を持つ一個の人間である。

このことをしっかり意識しお互いを敬い、愛するという前提で
このオープンポリシーは実りあるものとなってゆく。
そうして爽やかに率直に議論し合える企業風土を目指してゆきたい。

迷ったら実行するほうを選ぶ

人の成長にとって体験量が重要だ。
結果を予想して考え、実行し、結果を検証して学ぶ。

悪い結果を恐れ検討しても実行しない組織は
実社会を学習できない。
社会の実際を体験せず考えているだけの組織は
口先だけの人間に似て弱く見苦しい。

「戦略トップ層」と「誠実社員」

残業が無く、生活に合わせた働き方ができ、休みも多ければ多いほど良い、
という世間の風潮が2020年代に入り益々強くなってきている。
一方で人口減により縮小していく市場の中で経営環境は厳しくなっていく。
この中で「短い勤務時間と高い給与」を実現するのは簡単ではない。

高い給与を実現するためには常に変化し続ける社会において、市場の変化を読み、
それに先駆けて戦略を生み出してゆくことが会社に求められるが、
これは主にトップ層とそれを目指す社員の仕事であると考える。

優れた戦略を生み出すためには、会社時間と私的時間を跨いで考え続けている
トップ層の存在が必要であると考える。
9時から戦略を考えだし17時半にぴったりやめる ・・・ というわけには中々いかない。
課題の構成要素を記憶し、濃く、薄く思考を続けていると
良い戦略が自然に発酵して磨かれてゆく ・・・

一方でいくら優れた戦略があっても社員の「誠実勤務」がなければ成功は無い。
トップ層を目指さない社員が決められた時間の中で、
徐々に変化する業務に対応しながら日々しっかりと誠実に
勤めてくれることで戦略が機能し成果が出てくるのである。

会社が「短い勤務時間で高い給与を実現する」ためには、
ひたすら頭を使い知恵を絞るトップ層と誠実に勤務する社員という
両方の存在が必要であると考えている。

TJMお勧めの思考サイクル

はじめにTJMでよく使う時定数という言葉を説明しておく。
これはものを考える時にどれくらいの時間感覚で考えるかという時間尺度だ。

山に囲まれた里山を見るとする。
この時上る山の高さによって見えるものの範囲と詳しさが変わってくる。
低ければ狭い範囲が詳細に見え、高ければ大雑把だが広い範囲が見える。
これと同様に短い時定数で考える場合は短い範囲の詳細が見え、
長い時定数で考える場合は大雑把だが長い範囲が見えるという事になる。

時定数を変えて考えてみる事で戦略はより強いものになる。

課題と解決シナリオを簡潔にまとめる

先ず課題の目的を明確に記載する。
次に主な構成要素と思われるものを「大雑把に」「粒を揃えて」 記載する。
解決のために思いつくシナリオ・アイデアを「大雑把に」記載する。

目線を変えてまた考えてみる

自らの視座から捉えていることが全てと思いがちだが、
見る角度や時間軸に対する意識で物事は全く違って見える。

自分には発想力が欠けていると思っている人も
「考える視座を色々と変えて見る」と発想はこぼれだすことがある。

例えば
「主体を変えてみる」
顧客の目線、流通の目線、協力工場の目線、ライバルの目線 ・・・ 「時定数を変えてみる」
現在、1年という時間、3年、10年という時間 ・・・
臨終の床でどう感じるかという目線 ・・・
「課題が達成されたとして感じてみる」
・・・・・・・・・・

「着眼大局、着手小局」の「着手小局を先ずは頭の中で行ってみる」

「着眼大局、着手小局」ということわざがある。計画は大きな視野で大雑把に見て立て、
実行は細かな視野で具体的に始めるというような意味だ。

戦略を作る場合この「着手小局」を実際に始める前に頭の中で行ってみるのが良いと思う。
最初の行動としては、何処にいって何を言うのかと考えると
全体計画の緩さや相手目線の欠如などがあぶりだされてくることがある。

このように戦略を練って簡潔に記載したものをひとまず「記憶する」

記憶、執念 ・・・ そしてアイデアが発酵してくるのを待つ

お風呂に入っている時、散歩している時などにふっと答えが見つかるという事は
誰でも経験することだ。人の脳が持つこの仕組みを利用したい。
課題を記憶し、より良い答えにたどり着きたいという意志を強く持ち、
更に良いアイデアが発酵して浮かんでくるのを待つのだ。

考えてみれば当たり前のことだが「思考」のためには「記憶」が条件である。
余談だが子供時代には記憶する意味が分からなくても学校で記憶に励む。
最初から学問の意味を理解出来る子供はほとんどいないだろうが、
後年この記憶がベースとなり思考が溢れ出してくるのではないだろうか。

いよいよ実行に移る

スモールスタート

課題の目的を明確にする。
大局観、時定数を意識して重要な要素を粒を揃えて書き出す。
目線を変えてアイデアを深めてゆく。
最初の具体的な一歩さえも頭の中で詰め、シナリオを磨く。

そしていよいよアクションだが「小さくスタート」するようにしている。
先ず「小さいスタート」のほうがスタートするまでの時間が短くて済む。
規模や量を小さく絞って始めてみるのだが、そうすると全体に波及する前に
新たな問題が早く見つかり戦略を修正しブラッシュアップすることが簡単になる。

そして修正したアクションはとにかく迅速に実行して、
再び結果を見直し、戦略を磨いてゆく。
このスピード感が大事である。

TJMは普通の人間の集まりであるから
最初から完璧な計画を立てる事は先ず期待できない。
このプラン、記憶、ブラッシュアップ、そしてスモールスタート、修正 ・・・
というサイクルを速く回して社会に貢献しつつ
会社を良くしてゆきたいと考えている。

「細かく立てた想像の数値計画」と
実績の差異分析を仕事と勘違いしない

数値計画を持つと計画と結果の差異分析を行いたくなる。
数値計画は景気やライバルの行動を読みきることが不可能であるから
まず正しいということがない。従って言わば適当に作った数値計画と結果の差異分析を
行う事自体が仕事になってきてしまうリスクがある。

数字の前にまず大切なのは「事態をこのようにもってゆきたい」というストーリーである。
ストーリーについて徹底的に議論し、
結果は単なる数字ではなくストーリーがどう展開したのかについて検証するようにしたい。

ビジネスの世界では数字で表現できないものが成功と言えるのかどうか
疑わしいという側面がある。
確かに数字がまったくない世界は情緒に流れてしまう恐れがある。
まずストーリーがあり、それが思ったように進んでいるかチェックするために
局面局面の数値計画を織り込んでゆく。

ゴールは簡単に作った数値計画の達成ではなく
あくまで目指すストーリーの実現と考えたい。

ひたすら最終購買者の目線で考える

TJMの製品・サービスを実際に使う最終ユーザーが、
お金を出して買う瞬間をひたすら見つめる。
そこに最も効果的に影響を与えられる方法を、最短距離で考える。
つまり最終購買者が買う瞬間から見て逆算的に販売経路を構築してゆくことになる。

セールスは人間なので目の前にいる得意先が重要になり、
彼らを説得したり、気に入られる努力をしようとするのは当然だ。
しかしその考え方は時代のゆっくりとだが大きな変化を見逃してしまう危険を伴う。

目標は周囲に気に入られる事ではなく、最終ユーザーに買ってもらう事である。

立場の弱い協力企業を叩かず一緒に勉強する

企業の購買担当者はサプライヤーや外注先の協力企業に対して
安い価格で仕入れることが任務と言える。
協力企業から値上げの要請は簡単には受け入れず、
大量購入を武器に仕入れ価格を可能な限り下げさせるというのが世の風潮である。
特に販売価格の安さで競争している企業にはどうしてもその傾向を強めざるを得ない。
結果として立場の弱い協力企業側は言うことを聞かざるを得ないのだ。

TJMでは50年前に銀葛会という協力企業との勉強会を数社で始めた。
これはある自動車会社の事例で、購買部が単なる買付だけではなく
サプライチェーンを形成する全企業の経営を一緒に改善していくという手法に感銘を受け、
これに倣った取り組みである。

協力企業との品質向上・不良率ダウン・3Sについての話し合いは
TJM自身も非常に勉強になる話ばかりであった。
また経営相談も受けているうちに品質を保った上での
適性な仕入れ価格・製品売価を一緒に理解することができた。
この伝統が今も続いており、値上げの要請があった時にはそれがお互いの目線で
合理的なものかどうかを一緒に考えるというTJMのスタイルができあがった。

前提として価格が高くても売れる商品を開発し続け、
優れたブランド力を作り上げることが必要ではあるが
TJMは立場の弱い協力企業を叩くのではなく、
お互いの会社での取り組みや経営状況を一緒に勉強し理解しながら
よく話し合い、合理性を追求してゆく姿勢を大事にしたい。

お勧め値上げトーク

インフレの時代には製品の値上げを実行しなくてはいけない局面がある。
値上げによる売上数量の落ち込みや取引先からの批判を恐れて、
値上げを実施したいと言うと、特に営業部からネガティブな反応が返ってくることが多い。
しかしセールスが交渉する相手の立場に立って考えてみると、
大概はTJM以外の仕入れ商品も数多く持っているので
その他の商品を売ればよいということになる。
値上げによって売れなくなって困るのはTJMだけなのである。

例えばキッチンハウスの取引先であるハウスメーカーや工務店の最終目標は
家を売ることでありキッチンを売ることではない。
ユーザーがキッチンハウスは高くてだめと言うなら
他のキッチンメーカーを売ることになる。
つまり値上げして売れなくなって困るのはTJMだけであり、
値上げは自己責任ということになる。

それでも取引先からの反発は当然あるだろうが、
交渉相手さえも自分と同じように社内での立場や生活を持つ人間であると考え、
堂々と「自己責任で会社・社員を守りたいので」と説明するべきだと考える。

マネージャーとして絶対にしてはいけないこと

自分のミスを取り繕うためにミスを部下の責任にしてしまうマネージャー、
部下の手柄を自分のものにしてしまうマネージャー ・・・
こういうマネージャーの下では社員はちゃんとした仕事ができないし、しない。

能力の前に誠実な人間性がマネージャーの基本となる。
就任後暫くは問題が発覚しないことも多いが、2年も経過すると概略表に出てくる。
この時に経営幹部が再編の決断をできなければ組織は腐敗していく。

人が育つかどうかは自分で決める

人は親に教えられ、先生に教えられ、友達に学び、本に学び育ってゆく。
しかし同じ親に育てられ、同じ先生に教わった双子の兄弟が全く違う人間に
育つことがあるということを思えば人は教えられ育てられるように見えても、
実は自分で選んでいるのではないかと思うことがある。

親や先生の教えでも取り入れることと取り入れないことを選ぶ。
付き合う友達を選ぶ、読む本を選ぶ ・・・
どんな考え方に共感を覚えるか、何に感動するか ・・・
生まれた時から人それぞれの選択基準のようなものが備わっていて、
これを生まれ持った個性と呼んでいるのだろう。

人において非常に大事なものはこのそれぞれの選択基準である。
これは企業が育てることのできない領域である。

麦は麦、米は米、小麦を大麦にすることはできなくても
小麦を立派に育てる手伝いをすることはできる。

企業が人を育てることはできなくても、育ちやすい環境を作ることはできる。
企業の中でマネジメントに任命され後に降格されるということは時にある。
この時に挫折感と危機感を通じて意識の覚醒に至り
「本物の能力」を獲得していくことが大切である。
ここで降格された社員の働きぶりを上司が期待感をもって見守る環境作りを心掛けたい。
挫折なしに意識の覚醒はなく、本物のリーダーシップ、戦略構築力は育たないと考える。

人の個性を見抜いてできるだけ育ちやすい環境を与えることは
企業にとって重要なことではあるが、育つか育たないかは人それぞれの力によると思う。

相手の言うことをよく聞き、
話をしている相手そのものを知ろうとする

仕事において相手の言う内容を理解することは当然必要だが、
相手の立場に立ってどのような背景で、どのような考え方、
気持ちで話しているのかという話の向こう側を知ろうとすることは役に立つ。

まず自分の話をよく聞いてくれる相手には誰でも好感を持つものだ。
人の話をよく聞くと円滑な人間関係ができてくる。
これが仕事にとって、豊かな生活にとって重要である。
更に自分の人間性なども分かってくれる、分かろうとしてくれる ・・・
となると好印象は一層強まる。

そうすれば相手が納得しやすい言い方も見つかり、
相手にも自分の言わんとするところをより理解してもらえるようになるだろう。

困難な時期には困難の中に入らず上から眺める

心を自分の外に置いて相手も自分も同じように上から眺めてみる。
自分がどうみられるかだけを考えない。相手は何を考えているのか。
自分と相手を取り巻く環境はどうなっているのか。
幽体離脱とも言える状態で全体を俯瞰するイメージだ。

困難な時期にはその困難を正面から受け止めずに、
困難に直面している自分を上から眺めてみる。
そうすると自分の手に負えるものと、
自分の力ではどうにもならないものとの区別がついてくる。
自分が最初に手を付けるべきこと、
考えても仕方がないから成り行きにまかせること、と
困難な状況を俯瞰して冷静に対処できるようになってくる。

敢えて時代の明るい面を見る

長い人類の歴史を見ると、建設の時代、豊かな完成期、破壊の時代、
そして次なる建設の時代とサイクルを繰り返し、
そのたびに人類は進化を遂げてきていることが見える。
産業革命後の建設の時代が終わりを告げ、
自然災害、食料問題、資源の不足、コロナ禍、戦争と
破壊の時代が始まってきているように誰にも感じられるだろう。

しかし人類の歴史をよく見てみるとこの建設、完成、破壊の時代は
微妙に重なりあって進んでいるように思われる。
破壊の時代が完全に終わってから建設の時代が一から始まるのではなく、
破壊の時代の中で着々と次なる建設の時代の芽が育ってきていることが見て取れるのである。

爆発的に進化するDX技術、ロボット、バイオ技術、再生可能エネルギー、宇宙技術 ・・・
コロナ禍がもたらしたリモート会議、郊外への住宅移転、会社宴会や相互訪問の減少 ・・・
これさえも「次の時代の芽」に思われる。

個人も企業も物事の何処を見るかでその色は全く違って見えるものだが、
日本のマスコミは暗いニュースを多く報道し不安を煽る傾向がある。
一日中ニュースを見ていれば誰だって世紀末を感じて暗い気持ちになってしまうだろう。

我々TJM社員はこれに囚われ怯え、暗い景色を感じるのではなく、
次なる建設の時代をしっかりイメージして挑戦を続けてゆきたい。
社員全員、仕事でも私生活でも、困難の中にすでに吹き始めている新しい時代の風を感じて、
明るい面を見ながら歩み続けてほしい。

ホスピタリティーのない成功に意味はない

仕事上の真剣勝負をして負けた時に実に嫌な気分になったり、
負けたにも関らず、清々しい気分になったりするのはどうしてだろうか。
同じことを言われて「なるほど」と納得できる人と「ちょっと違うんだな」と
感じてしまう人との差は何なのだろうか。
それはその相手に「ホスピタリティー」があるかないかではないかと考える。

仕事は真剣勝負である。勝負しながらも心からその「相手」を大事に思う気持ちが
あるかないかで、同じ言葉でも相手に伝わるニュアンスが全く違ってくるのだ。
短い人生で巡り会う人は例え競争相手であっても縁の深い人である。
どんな人も自分と同じように家族がいて、悩みがあり、
幸せになりたいと願っている普通の人間である。
そう思うと、勝負をしながらも爽やかな闘いをして「相手」と質の良い時間を過ごそうと
考えたくなる。そしてそれが良い結果を往々にしてもたらすのである。

人生の目的は「良質の時間」を過ごすことではないだろうか。
思い出して本当に楽しかったと思える良質な時間というのは、
お互いに真剣に過ごし、感動し、愛し愛された時間ではないだろうか。
そうだとすると「相手」に対してホスピタリティーの無い場面での成功は、
例え成功であっても人生における意味は小さいと思われる。

まぁいいか、自分だっていい加減なところもあるし

立派な建前ばかりを言っていると詰まってきてしまう。

「あの人だけは絶対に許せない」
これは自分に忠実であっても幸せになりにくい考えだ。
自分だって別の場面で同じようなこともあると思うから、まぁ仕方ないか ・・・
こう思える人は幸せであると同時に、
人も集まって来て大きな可能性が出てくるのではないだろうか。

広大なる心理空間

ある人が「広大なる心理空間」という言葉を祝詞で使っていたのを
耳にしたことがある。

時間は有限であり誰にとっても共通の最も貴重な財産であると言える。
その中で誰のために時間を割くかということは重要なことである。
時間がどうしても取れない時、ある人の事を頭で思い描けば
それは会った事に近いのではないかと感じることがある。
それもその人を懐かしむように、応援する気持ちで想えば
何らかの形で思いは伝わるような気がする。

心の中に何人の人が時に喜びの、
時に泣かんばかりの瑞々しい表情で生きているか ・・・
沢山の人が棲んでいる心、広大なる心理空間というのは
素敵な言葉であると思った。

常に逆は真、対立する二つをバランスさせて走り続ける

ドッグイヤーでさえのんびりしすぎ、今やラットイヤーだと言われる超スピード時代に、
「タートルイヤー = 亀の歩み」をスタイルとして標榜し10年経っても生き残る
本物の商品をじっくり作り上げたいという思いが確かにある。
「タートルイヤー」と「ラットイヤー」これは明らかに相矛盾するように見える。
しかし私達はどちらかを選ぶという姿勢をとるべきではないのだろう。
スピードの良さ、ゆっくりの良さ、ともに本当である。
「今この時に燃焼しながらじっくりと本物を作っていく」
ということは決して矛盾することではない。

何か一つのことが起こってきたら逆を考えてみる。
すると、必ず両方に意味があるように見えてくる。

個人の自由とチームワーク。貫き通す愚直さと時代に適合する柔軟性。
確立された自己とホスピタリティー。厳しさと優しさ。
光に照らされた成果と影の地道な努力 ・・・

これら相反するように見える二つを思い並び立たせようとするところに新しい境地が生まれる。
しかし考えているだけでは難しい。
相反する二つを心の中に抱き込むためにはじっとしていずに走るのが良い。
自転車に乗っていて右にも左にも倒れないための最上の方法は、
自転車を走らせれば良いのと同じことである。風を切って走る ・・・
相反する左右の景色を抱きかかえながら走っていく自転車には道が険しくても楽しさがある。

私達の目指す所はこのように人が深まり走ることだ。

答えは自分の心の中にある

写真はバラバラに切ってしまうともうお終いだが
レーザーによるホログラムというのはバラバラにしても
部分に全体情報が入っているので
部分からまた全体を再現できるという話を聞いたことがある。
人の心、脳、細胞、遺伝子 ・・・ の中には
ホログラムと同じように全体情報が入っていると感じる。
宇宙の意志、生物の進化の歴史が一人の人間の中に刻み込まれ、
そして使っていない半分以上の脳細胞の中に未来を切り開く力が
すべての人に備わっているのだと思う。

だから最後は自分の心に問うということをすればいい。
人を頼らず、人の目を気にせず、自分の心に注意深く問い尋ねる。
自分で間違っていると知っていることをやってしまう心と闘い、
心の奥底にある本当の答えを探し、
これに従って自分に誇れる自然な一日一日を送る。
貧しくても、病んでいても、何が何でも突き抜ける蒼空は
こうしてこそ見えるのだと思う。